The Facemaker: One Surgeon's Battle to Mend the Disfigured Soldiers of World War I

フェイスメイカー:第一次世界大戦で顔を失った兵士たちを救った天才外科医の物語

『フェイスメイカー』(原題: The Facemaker)は、医学史家のリンジー・フィッツハリスによって書かれた、第一次世界大戦中に形成外科の礎を築いたハロルド・ギリーズの伝記的著作です。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、新しい軍事技術による前例のない破壊力が、兵士たちに深刻な顔面損傷をもたらしました。機関銃、砲弾の破片、化学兵器などにより、多くの兵士たちが顔の一部または全体を失いました。そのような中、ニュージーランド出身の外科医ハロルド・ギリーズは、顔面再建手術の開拓者として立ち上がりました。

当初、ギリーズはフランスの野戦病院で働いていましたが、そこで歯科医のオーギュスト・シャルル・バラディエと出会います。バラディエは自身のロールス・ロイスを移動式歯科診療所に改造し、最前線で負傷兵の治療にあたっていました。この出会いを通じて、ギリーズは顔面再建における歯科医との協力の重要性を学びました。

1916年、ギリーズはイギリスのオールダーショットにある軍事病院に専門病棟を設立。さらに1917年には、ロンドン郊外のシドカップに「クイーンズ病院」を開設します。この病院では、外科医、歯科医、放射線科医、アーティスト、写真家など、多分野の専門家からなるチームを結成。特に、画家のヘンリー・トンクスは手術前後の患者の肖像画を描き、貴重な記録を残しました。

ギリーズは革新的な手術技術を次々と開発しました。その代表例が「チューブ状茎皮弁法」です。これは、皮膚を筒状に巻いて血流を保ちながら移植する技術で、感染リスクを大幅に低減させました。この技術は現代の形成外科でも重要な基礎となっています。

戦後、ギリーズは民間人への美容整形も手がけるようになります。当時は「虚栄心のための手術」として批判も多かったものの、彼は外見が人々の幸福に与える影響を理解していました。1930年には功績が認められナイト爵を授与され、1946年にはイギリス形成外科学会の初代会長に就任しました。

1960年に78歳で亡くなるまで、ギリーズは常に医学の限界に挑戦し続けました。1949年には世界初の性別適合手術(女性から男性への手術)を成功させるなど、形成外科の可能性を広げ続けました。

重要ポイント:

  1. ギリーズは第一次世界大戦中の顔面損傷患者の治療を通じて、現代形成外科の基礎を確立した

  2. 多職種連携のアプローチを導入し、外科医、歯科医、アーティストなどのチーム医療を実践

  3. チューブ状茎皮弁法など、革新的な手術技術を開発

  4. 形成外科を単なる機能回復だけでなく、美的側面も重視する分野として確立

  5. 戦後は美容整形や性別適合手術など、形成外科の新しい可能性を開拓

  6. 現代の顔面移植手術など、最先端の形成外科技術の礎を築いた