パンドラの箱:テレビジョン 悪徳と堕落の叙事詩
ピーター・ビスキンド著の「パンドラの箱:テレビジョンの悪徳と堕落の叙事詩」は、アメリカのテレビ業界の歴史を、その黎明期から現代のストリーミング時代までを網羅した大作です。単なる歴史書ではなく、業界の内部事情や権力闘争、そして創造性と商業主義のせめぎ合いを、豊富なエピソードと鋭い洞察力で描き出した、読み応えのあるノンフィクション作品です。
テレビジョンの誕生と「広大な荒れ地」
ビスキンドは、初期のネットワークテレビを「広大な荒れ地」と表現しています。これは、スポンサーとFCC(連邦通信委員会)の規制により、当たり障りのない番組ばかりが制作されていたためです。当時のテレビは、大衆に迎合し、異端な意見や表現は排除されていました。
しかし、1960年代後半から1970年代にかけて、状況は変わり始めます。ノーマン・リアやメアリー・タイラー・ムーアのような才能あるプロデューサーや脚本家が登場し、「オール・イン・ザ・ファミリー」や「メアリー・タイラー・ムーア・ショー」のような、社会問題や女性の生き方などをテーマにした、より革新的な番組が制作されるようになりました。
HBOの台頭とケーブルテレビの黄金時代
真の変革をもたらしたのは、1972年に設立されたHBO(ホーム・ボックス・オフィス)です。HBOは、従来の広告収入モデルではなく、加入料収入というビジネスモデルを採用しました。これにより、スポンサーの制約から解放され、より自由なコンテンツ制作が可能となりました。
「パンドラの箱」では、HBOの成功を導いた二人のキーパーソン、マイケル・フュークスとクリス・アルブレヒトに焦点を当てています。フュークスは、HBOの初代プログラミング責任者として、ネットワークテレビとは一線を画す、男性向けのスポーツ番組や映画に力を入れる戦略を打ち出しました。その後を継いだアルブレヒトは、フュークスの路線をさらに発展させ、「OZ/オズ」や「ザ・ソプラノズ」といった、質の高いドラマシリーズを制作し、HBOの黄金時代を築き上げました。
本書では、フュークスとアルブレヒトの確執、そしてアルブレヒトの失脚劇など、HBOの内部で繰り広げられた権力闘争についても詳細に描かれています。また、「セックス・アンド・ザ・シティ」や「ザ・ワイヤー」など、HBOを代表する人気番組の制作秘話も紹介されています。
ストリーミング時代の到来とNetflixの挑戦
21世紀に入ると、Netflix、Amazon、Appleなどのストリーミングサービスの登場により、テレビ業界は再び激変の時代を迎えます。中でもNetflixは、データ分析に基づいた独自の戦略で、オリジナルコンテンツの制作に力を入れ、ストリーミング時代の覇者としての地位を確立しました。
Netflixは、「ハウス・オブ・カード 野望の階段」や「ストレンジャー・シングス 未知の世界」など、世界中で大ヒットするオリジナルドラマを次々と生み出しました。また、 スタンダップコメディやリアリティ番組など、多様なジャンルのコンテンツを制作し、視聴者のニーズに応えてきました。
しかし、その過程で、Netflixは巨額の負債を抱え、ハリウッドの伝統的なスタジオやネットワークとの対立を深めていきます。また、社内では、従業員のパフォーマンスを厳しく評価する「キーパーテスト」など、シリコンバレー的な競争主義が蔓延し、批判を浴びることもありました。
ディズニーの逆襲とワーナー・ブラザース・ディスカバリーの苦闘
ディズニーは、ボブ・アイガーCEOの指揮の下、ピクサー、マーベル、ルーカスフィルム、20世紀フォックスなどの買収を次々と成功させ、豊富なコンテンツを獲得しました。そして、2019年にDisney+を立ち上げ、Netflixに対抗します。
Disney+は、「スター・ウォーズ」シリーズのスピンオフドラマ「マンダロリアン」や、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の新作ドラマなどを配信し、人気を集めています。また、ディズニーの豊富なコンテンツライブラリを活用し、ファミリー層を中心に幅広い視聴者層を獲得しています。
一方、ワーナーメディアは、2018年にAT&Tに買収された後、混乱の時代を迎えます。HBO Maxは、HBOのブランドイメージを損なうことなく、ストリーミングサービスとして成功できるのか、苦難の道のりが続きます。
テレビジョンの未来
「パンドラの箱」は、ストリーミング時代の到来によって、テレビ業界が新たな課題に直面していることを浮き彫りにします。コンテンツ制作費の高騰、競争の激化、人材の流動化、そして倫理的な問題など、課題は山積しています。
ビスキンドは、テレビジョンの未来について明確な答えを示すことはしません。しかし、本書で描かれた業界の光と影、そして成功と失敗の物語は、私たちに多くの示唆を与えてくれるでしょう。
重要ポイント
- ネットワークテレビは、スポンサーとFCCの規制により、「広大な荒れ地」と化していた。
- HBOは、加入料収入というビジネスモデルを採用し、質の高い番組を制作することで、ケーブルテレビの黄金時代を築いた。
- Netflixは、データ分析に基づいた戦略で、ストリーミング時代の覇者となった。
- ディズニーは、M&A戦略によって、豊富なコンテンツを獲得し、Disney+を立ち上げた。
- ワーナーメディアは、AT&Tによる買収後、混乱の時代を迎え、HBO Maxの未来は不透明である。
- ストリーミング時代の到来によって、テレビ業界は新たな課題に直面している。
- 今後のテレビ業界は、コンテンツの質、倫理的な問題、そして従業員の待遇などが重要な鍵となるだろう。