「アメリカ市場の女神:アイン・ランドとアメリカの右派」を読む
Jennifer Burns著『Goddess of the Market: Ayn Rand and the American Right』(Oxford University Press, 2009)
20世紀のアメリカで最も影響力のある思想家の一人、アイン・ランド。彼女の代表作『水源』や『肩をすくめるアトラス』は、今なお毎年数十万部が売れ続けているベストセラーです。本書は、ロシアからの亡命者だったランドが、いかにしてアメリカの政治思想に大きな影響を与えるに至ったのかを、丹念に描き出しています。
1905年、ロシアのペテルブルグで生まれたアリサ・ローゼンバウム(後のアイン・ランド)は、裕福なユダヤ人家庭で育ちました。彼女の人生を決定づけたのは、1918年のロシア革命でした。父親の薬局が突如として没収され、一家は貧困に陥ります。この経験は、若きアリサに深い傷跡を残しました。個人の所有権を無視し、集団の利益を個人の権利より優先する共産主義への激しい嫌悪が、ここで芽生えたのです。
1926年、彼女はアメリカに渡ります。ハリウッドで脚本家として成功することを夢見てのことでした。しかし、その道のりは険しいものでした。長年にわたる貧困と孤独の中で、彼女は自身の思想を練り上げていきました。その核となったのが、個人主義と資本主義への強い信念でした。
転機となったのは、1943年に出版された『水源』です。建築家ハワード・ロアークを主人公に、個人の創造性と独立性を讃えるこの小説は、大きな反響を呼びました。続く『肩をすくめるアトラス』(1957年)では、政府の規制や集産主義への批判をより明確に展開。生産者たちが社会に対してストライキを起こすという斬新な設定で、個人の権利と自由市場の重要性を説きました。
これらの小説は、とりわけビジネスマンや若者たちの間で熱狂的な支持を集めます。1950年代後半から60年代にかけて、ランドは自身の哲学「オブジェクティビズム」を体系化。理性、個人主義、資本主義を核とする思想を確立し、ナサニエル・ブランデン研究所(NBI)を通じて全米で講演活動を展開しました。
しかし、ランドの思想的立場は微妙なものでした。反共産主義と自由市場の擁護者として保守派に近い立場にありながら、無神論者である彼女は宗教的な保守主義者たちと激しく対立。特にウィリアム・F・バックリーJr.率いる『ナショナル・レビュー』誌との論争は有名です。
その一方で、1964年のバリー・ゴールドウォーター上院議員の大統領選挙運動では、ランドは積極的な支持を表明。しかし、選挙での敗北後、彼女は次第に公的な活動から距離を置くようになっていきます。
1968年には、長年の協力者であったナサニエル・ブランデンとの決裂により、ランドの影響力は一時的に低下します。しかし、興味深いことに、この頃から彼女の思想は若いリバタリアンたちの間で新たな展開を見せ始めます。1971年のリバタリアン党結成に象徴されるように、ランドの思想は制度化された保守主義への対抗勢力として機能するようになっていったのです。
1982年に死去したランドですが、その影響力は現代まで続いています。連邦準備制度理事会議長を務めたアラン・グリーンスパンは、かつてランドの親密な弟子でした。2008年の金融危機後には、政府の市場介入への批判として『肩をすくめるアトラス』が再び注目を集めました。
本書の意義は、ランドを単なる思想家としてではなく、20世紀アメリカの政治文化の重要な一部として位置づけた点にあります。彼女の個人主義と資本主義の擁護は、ニューディール以降のリベラルなコンセンサスへの強力な対抗言説となりました。また、保守主義運動内部での宗教と世俗の対立や、リバタリアニズムの台頭など、現代アメリカ政治の重要な論点の源流としても、ランドの思想は重要な意味を持っています。
【重要ポイント】
『水源』(1943年)と『肩をすくめるアトラス』(1957年)の成功により、ランドは影響力のある思想家としての地位を確立
「オブジェクティビズム」という独自の哲学を確立し、理性・個人主義・資本主義を核とする思想体系を構築
アラン・グリーンスパンなど、実際の政策決定に影響力を持つ人物を育てた
2008年の金融危機以降も、政府の市場介入への批判者として再評価されている
単なる思想家としてではなく、20世紀アメリカの政治文化を形作った重要な人物として位置づけられる
毎年数十万部が売れ続けているベストセラー作家として、現代でも強い影響力を保持している